グリーフケアパートナーは、元来の「グリーフケア」と共に現代社会において、
喪失しつつある「人とのつながり」「人への思いやり」を回復するための事業を推進します。 

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水谷修理事

夜回りを続けて23年。はじめて「これだ!」と思えたのがグリーフケア。

私がここにいることを、不思議に思う方々は多いんじゃないかと思います。私は、夜の街をさまよう子どもたちとともに生きてきました。リストカットを繰り返す少女。薬物から逃れられない青年。犯罪に手を染める少年。「水谷青少年問題研究所」を設立して11年になりますが、それ以降、事務所の電話番号とメールアドレスを公開しています。これまでに届いたメールの数は82万件、関わった子どもたちは23万人を超えています。
彼らを何とかしたいという想いで、まず私が頼ったのが精神医療。当然、治療をしてもらおうと思ったからです。でも、言葉を選ばずに言えば、治療とはほど遠い「薬づけ」ばかりでした。先天的要因ではなく、環境的要因で行動に問題が出たのだから、環境を含めて治療しなければ意味がないんですよね。薬で脳をいじって適応させることには、大きな違和感がありました。
次に頼ったのはカウンセリングでした。でも、こちらにも限界があった。カウンセリングの基本は論理です。他方、僕が抱えている子どもたちの大半は直感的、感情的、本能的に行動している。「あなたがリストカットをしてしまうのは、過去にこんなことがあったからです」では救いになりません。そんな時にグリーフケアの概念を教えてくださったのがシスター髙木でした。正直、「これだ!」と思いましたね。自分がやってきたこと、これからやっていきたいことと、まさにピタッとハマった気がしました。そうか、彼らが背負っているのは『悲嘆』なんだ、と。自分がどれだけ、彼らの面倒が見られるかは分かりません。でも、ともに寄り添って生きていく。その重要性をぜひ多くの方にもご理解いただきたいと思います。

心、頭、そして身体までもケアをする。いつかはスポーツ選手だけでなく、すべての若者救済へ。

私は世間の皆さんから「夜回り先生」と呼ばれていますが、いま私の右腕として「夜回り」をしている男は、かつて少年院にいました。自らも薬物に溺れ、売人もしていた。なぜか。彼は夢を破かれたんですね。高校時代、彼は野球部のエース候補でした。厳しい野球部で、竹刀で生徒を殴る指導者がいたそうです。その指導者が、ある時に女子生徒に手をあげた。彼はその指導者を殴ってしまったんですね。そこから先は転落まっしぐらです。野球部を辞め、結局、薬物に救いを求めてしまった。
教員時代にも、そういう生徒は何人もいました。定時制の頃には特に多かった。スポーツに打ち込んできたのにドロップアウトしてしまって、定時制に辿り着く子はとても多いんです。小学校の頃からサッカーだけ、野球だけ。親も周りも期待しているので勉強は後回し。けれど、ドロップアウト後には何をするにも、時間を遡らなければなりません。プライドを捨てられずに不適応を起こしたり、苛立ちによって暴力沙汰を起こしたりしてしまう。彼らの心の根底に、「恨み」があることは見逃せません。
「恨み」というのは『悲嘆』のことですよね。彼らに必要なのは「心のケア=グリーフケア」、「頭のケア=勉強、キャリアワーク」、「身体のケア=生活の保障、仕事マッチング」の3つです。グリーフケアパートナーは、まさにこの3つを事業として提供していく組織です。プロアマ問わず、スポーツに打ち込んだ人々の『悲嘆』ケアを行い、社会へと送り出す。この活動には、企業の理解と協力が不可欠。将来的には、スポーツ選手に留まらず、『悲嘆』を抱えた日本中の青少年全体を救済するところにまで、広げていきたいと私は考えています。

グリーフケアは、心のセーフティネット。生きる目標をつくる、お手伝い。

私は震災直後から現地に行っていますが、当初、いちばん悩んだのは距離感でした。私たちはレスキュー隊でも警察官でもないので、入っちゃダメと言われた場所には入れません。もっと言えば、一定の期間が過ぎれば帰らなければいけません。その歯がゆさを何とかしたいという想いでつくったのが、食堂なんです。被災地にはお子さんを亡くしたお母さんたちがたくさんいました。彼女たちは『悲嘆』に暮れて、何をしていいか分からない。その彼女たちに料理をつくってもらう「場」としての食堂でした。
一方で、食事をどう手配すればいいか困っている高齢者も大勢いました。食堂が軌道に乗ると、高齢者の方々のための憩いのスペースをつくって将棋を打ってもらったり、キッズスペースで子どもたちと触れ合ってもらったりしました。お金を送るとか、相談に乗ることも大切ですが、そういう一過性のアクションではなく、ともに生きるための「場」がつくりたかった。これは、グリーフケアの精神とつながるものがあると思います。
私はシスター髙木と一緒に被災地を訪れたこともあります。講演が終わった時、僕らのところに男性が近づいてきてこう言いました「津波で、子どもも親も妻も、家族みんな喪いました。私は生きていていいのでしょうか」。私は返す言葉を持ちませんでした。その時、シスターは男性を抱きしめて「生きていてくれてありがとう」と言うんですね。男性の肩からふっと力が抜けました。ああ、これがグリーフケアか、これをやらなきゃいけないんだな、と思いました。グリーフケアは、いわば「心のセーフティネット」なんですね。明日を生きるための目標をつくる。そこまでやってグリーフケアは完成するのだろうと思います。

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